ふわふわとして、地面に足がつかない感じです。

方向感覚も、上下感覚もなくなって天井を歩いている感じです。

要は、”飲まされた”のです。

気持ちい良いわけなんてありません。

ときどき出してしまいそうになって、必死で押さえています。

これはもう一旦出してしまった方が良いかもしれません。

頭の中で行為に及べる適当な場所を探します。

ここから一番近いのは公園です。

でも家とは逆方向です。

さっき通り過ぎてしまいました。

その時はまだ、家まで持つと思っていたのです。

戻るべきなのでしょうか、それとも家まで我慢するべきでしょうか。

そもそも家までもつのでしょうか。

主観で言うと、戻りたくありません。

何故かとおっしゃいましても、世の中戻るという行為が好きな方はそうそういらっしゃらないと思うのです。

無意識のうちに無駄なことをしたくないという思いが働いているからでしょう。

しかし、それは大抵、安直な思考の結果です。

何故なら私は今、出してしまうというリスクを負っているからです。

もし、家まで我慢できずに放出してしまった場合、その事後処理にかかる時間を考えるとこのまま家まで直行するのは愚の骨頂です。

しかし戻りたくないという思いが私を遮ります。

そして、私が今、家を目指している理由を思い出しました。

たった今、思い出しました。

そうです、それがなければ近くのホテルにでも部屋を借りて1泊していけば良かったのです。

今から出れば家に着く頃には十分時間に間に合うことを確認して店を出たはずです。

時間を確認します。

もう後幾ばくの猶予もありません。

戻って出している時間もないのです。

あいかわらずふわふわとしていますが、私は迷うのをやめて出来うる限りの速度で歩を進めます。

出来るだけ揺れないようにも気を遣います。

しかし、時折来る波を押さえるためにその都度立ち止まります。

心配したほど危機的状況でも無かったのかも知れません。

私の体は着実に家へと近づいていきます。

着きました。

遂にやりました。自分で自分をほめてやりたいと思います。

よくあの感覚をセーブしつつここまで来たものです。

家に入ろうとしてそこで気がつきます。

鍵がありません。

どこかで落としたのでしょうか。

けれど無事に家に着いた安堵感で、落ち着いて良く探せば見つかるだろうと大して気になりません。

本当に亡くしていて、再び作り直す費用も、手間も、今の私にはどうでも良いことでした。

仕方がないので呼び鈴を鳴らします。

足音がします。

気がついてくれたようです。

嗚呼、しかし私は侮っていました。

ここになって大きな波が訪れている事に気づきもしなかったのですから。

我慢は限界でした。

今まで騙しすかしながらやって来ましたがもう押さえる事は、その時の私にはどうあがいても出来なかったでしょう。

ガチャリとロックがはずれて扉が開きます。

中からオレンジ色の光が差し込みます。

そして次の瞬間、私はその光の中にたたずむ影に向かって全てをぶちまけていたのです。